金融・投資、財政破綻、少子高齢化、健康長寿、観光・文化 ~日本の課題と将来展望をリサーチ~
Japan Future Research

激しく変化する世界と日本の“今”と“未来”をリサーチ

人生100年時代の生き方

人生100年時代の生き方 健康長寿、少子高齢化

人生100年時代の生き方  あなたは、どう生きるか

はじめに

 人生100年と言われる時代の到来は、私たちに多くの体験と喜びをもたらしてくれる可能性がある。人生50年と言われた時代に比べ、現代はジェット旅客機で世界中に行くことができ、実際に訪れなくてもグーグルアースを使って世界の隅々までその姿を見ることができる。現代人は昔の王族や貴族をはるかに超えた生活を享受することが可能となっている。しかし一方で、これからの長寿社会はリスクや痛みを伴うものになっている。様々なアンケート調査でも将来に不安を感じ、消費を抑え、貯蓄に励み、60歳代は働くことを前提とした生活設計をしている人が増えてきている。

人生100年時代は、少子高齢化が急速に進むことから、長生きすることの喜びとともに、年金への不安、健康への不安、介護への不安、高齢化に伴う孤独感など、さまざまな問題を抱える社会となる。

いかにして人生100年時代を生きていくか?人生100年という長い時間もそれぞれの時間を分割していけば、いかに“今”を生きるか、“明日”のために何を準備していくかが重要となる。人生100年時代に対して過度に悲観的になる必要はないが、将来に対して自分なりのビジョンを描いて、そのためにいかに“今”を生きていくかが大切になっている。

“今”と“明日”に対するビジョン、これは個人にとっても重要であり、個人の集合体である地域、国の問題としても真剣に取り組まなければならない問題である。

 

急速に伸びる人間の寿命

日本を始め世界中で高齢化が急速に進んでいる。

日本の人口の歴史的推移をみると平安初期の人口は550万人程度であったとされ、江戸時代初期に1,200~1,300万人程度、明治5年に3,481万人、そして2017年時点では1億2,680万人と、明治からの150年間で約3.6倍に急増している。このような人口増加のボーナスによって、日本は奇跡とも言われる経済発展を遂げ、医療技術の進歩と相まって寿命も延び、日本の100歳以上の「センテナリアン」は2050年までに100万人を超えると言われている。

また、これから生まれてくる子供たちは、がん・心疾患・脳血管疾患などの治療技術の進歩や健康に関する知識の普及により、その半数以上が100歳を迎えることができると言われている。

人間の寿命が延びることは決して悪いことではない。しかし、過去の歴史になかったスピードで高齢化が進展することが問題となっている。

 

高齢化の中での社会保障費の増大

人間の寿命が延びる一方、人口減少が加速し、高齢化率は上昇を続ける。

高齢化率は、2036年には33.3%で3人に1人となり、2042年以降は65歳人口が減少に転じても高齢化率は上昇し、2065年には38.4%となり、国民の約2.6人に一人が65歳以上となる。2065年には75歳以上の割合は25.5人と、3.9人に1人が75歳以上となる超高齢化社会が到来するのである。

 

2019年度当初の一般会計予算の歳出額は101兆円と7年連続で過去最大を更新する。税収や税外収入は69兆円、国債発行額は33兆円に及び、歳出総額の3割超を占める医療・年金等の社会保障費は34兆円に達する。

社会保障費は過去10年間で、年平均2.6兆円、ほぼ消費税1%に相当する規模で増加してきており、今後、消費税で社会保障費の増加分を賄うとすると、消費税率20~30%への増加が避けられないとされている。

 

急激な少子高齢化の中で年金・医療・福祉に対する不安が増している。「人生100年時代」を支える社会コストはますます増大していく。

現在の社会保障システムは、人口が増加していた時代のパラダイムに基づいたシステムであり、少子高齢化のコストを織り込んでおらず持続可能性はないと言える。高度経済成長以後しばらくの間、多くの人が終身雇用の中で守られ比較的安定した生活が保障されていた。しかし、人口ボーナスから人口オーナスの時代に入り、今のシステムが立ち行かなくなっているのは誰の目にも明らかである。

 

アベノミクスの「3本の矢」~「財政出動」「金融緩和」「成長戦略」~により日本は長期のデフレから脱却しつつあるが、第二次安倍内閣発足から6年が経過する今、国の財政は悪化し、選挙向けのばらまき政策が行われ、年金・医療・福祉に対する長期的なビジョンはなおざりにされている。

 

私たちはこの負担に耐えることができるのだろうか?本当に真剣に考えるべき時が来ている。

 

インターネット、人工知能の発達による劇的変化

GAFE(Google、Apple、Facebook、Amazon)が私たちの生活を劇的に変えたのは、ここ15~20年ほどのことである。15~20年という期間は、人間の生活様式や社会構造を変化させるには十分な時間である。時には革命や戦争さえ起こる。革命の時代に生きたか、戦争の時代に生きたか、あるいは、戦後日本のように戦争のない平和な時代に生きるかによって、人生100年は大きく変わる。

これからの15~20年は、同じ「人生100年」でも、過去の100年とは次元の違う進化と変化が訪れるだろう。人工知能、5G、キャシュレス、自動運転、ブロックチェーン、シェアエコノミーなど様々な技術・システムの開発により、私たちの生活は大きく変化していく。20世紀末からのIT革命の時代に生まれた者と、2020年代の人工知能の時代に生まれた者は、生活様式・行動規範、政治参加、金融システム、国際情勢など様々な点で違う世界に生きることになるだろう。猛スピードで進化する技術革新によって、多くの産業やそこで働く人々を変化の激流に巻き込んでいくだろう。そこには大きなビジネスチャンスがあるとともに、変化の時代に翻弄され苦労する人々も出てくる。

さらに、技術革新だけでなく、米中貿易戦争にみられるアメリカと中国の覇権争い、国際紛争なども、私たちの未来に大きな影響を与える。

いずれにしても、「人生100年時代」を生きる上で、私たちは人工知能などの技術革新をうまく利用して自らも成長するようにしていく必要がある。

 

人生100年~自らの可能性を信じ挑戦する意思~

人生の最後を迎える時、ひとは何を思うのだろうか?

毎日の決まった仕事や家事などの積み重ねの中、人生は嫌がうえにも過ぎて行き最後の日を迎える。人生最後の日に、人は挑戦し成し遂げたことに対する満足感と、成し遂げることができなかったことに対する後悔の中で、過去を走馬灯のように回想するのだろうか?

“死”は常に私たちにとって身近な存在である。それは高齢者やシニアだけではなく、若い人にとっても同じことである。人生の中では、あの時もしかすると死んでいたのではないかと思った危険な瞬間、例えば海で溺れかけた幼年期、危うく大事故になったかもしれない運転中の睡魔と急ブレーキ、急病に倒れた時といったものが誰にでもある。

 

以前、中東ドバイの古代アトランティスを模した人工島「アトランティス・ザ・パーム」を訪れた時、隣接するヨーロッパNo.1のウォーターパーク「アクアベンチャー・ウォーター・パーク・ドバイ」で、垂直降下のタワースライダーに乗る機会があった。棺のようなカプセルの中に閉じ込められ、カウントダウンとともにカプセルの底が抜け、タワーの中心からほぼ垂直に時速60キロで滑り落ちるスライダー。落ちる直前までの恐怖、心臓の高鳴り、その時、「ああ、死ぬ前の感覚とはこういうものかもしれない」と感じた。だが、死の恐怖を感じることは生きることへの畏怖の念、死ぬことへの潔さ、つまり人間というものはいずれ死ぬ、それまでに精一杯生きるべしという気持ちにさせてくれる。ドバイの恐怖の垂直降下のスライダーは生きることと死ぬことへの不思議な胆力を私にもたらした貴重な経験だった。

 

死はすべての人に訪れる。確率100%の事実である。

人生は時として冒険に例えられる。死をゴールとした冒険である。それゆえ、“死”は私たちに常に身近な存在であり、“死”はやがて確実に私たちを訪れ、私たちをこの世から連れ去ってしまうのである。

“死”に対する不安は誰にもある。しかし、ドバイの「アトランティス・ザ・パーム」の恐怖のスライダーから学んだのは、死ぬかもしれない恐怖だけではない。いつか死ぬ運命の中にあって、人生を無駄にしない、限りある命を無駄にしないという意識である。それ以来、“死”は常に私たちの身近にあり、それゆえ、生きることを大切にしなければいけないと強く思っている。そして、時にはスカイダイビングやバンジージャンプをするように、人生100年時代の中で、死を恐れずジャンプすることが必要な時に、変化を恐れずチャレンジすることが必要ではないか考えているのである。

 

人生100年時代~常に学び続ける~

人生100年時代と言われるが、ドバイでの経験から、一つの考え方として、100年の間に何度か“死ぬ”気でチャレンジすることが必要だと考えている。脱皮しつづける意識を持つこと、変化を恐れずジャンプすること。

『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』の著者のリンダ・グラットンは、人生が「教育」「勤労」「引退」の3ステージからマルチステージへの移行すると指摘している。

「教育」「勤労」「引退」という一定のサイクルの人生でなく、常に学び、働き、遊び、休息し、そして時に“死”を覚悟しながらジャンプする。そのためには心身ともに健康であることが重要となってくるかもしれないが、たとえ何らかのスランプや病気に見舞われたとしても学び、働き、遊び、休息することはできる。また、多くの人が経験することだが、人生で突然見舞われる災厄は、しばしば人生の糧になるのである。

若者は特に歴史や偉人の生き方から学ぶべきことが多い。SNSやグーグルの知識だけでなく、若いうちに歴史や文学や芸術に深く傾倒することはとても重要なことである。そこには偉人の生き方、情熱、苦悩と喜び、そして老いや死についての様々な事象が描かれている。

 

「人生100年」時代には、たゆみなく学び続け、時に変化を恐れず新しい挑戦をし、逆境をも将来の糧にする胆力が必要である。

 

むすび~後悔せずに生きる

ローマ五賢帝のひとりマルクス・アウレリウス(西暦121年~180年)の著した『自省録』では、「一つ一つの行動を一生の最後のもののように行う」と記されている。

また、ギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアを発掘したシュリーマンの自伝『古代への情熱』は「人生100年」時代のひとつの指針となるものだと思う。シュリーマンは、貧しい生活の中にあっても仕事の合間に15か国語をマスターし、幼少の頃読んだホメーロスの『イリーアス』に感動したことを自らの夢として50歳を過ぎてから古代ギリシャの先史時代の遺跡を発掘している。学び続け、挑戦した人生である。因みに、シュリーマンは幕末の慶応元年(1865年)に日本や清を訪ねるなど、まさに「エクスプローラー(探検者)」の人生を歩んだのである。

日本にも、「エクスプローラー(探検者)」の一人とも言える伊能忠敬がいる。伊能忠敬は千葉県佐原の名主を務めたのち、50歳で隠居し、江戸に出て暦学天文を学び、55歳から17年の歳月をかけ日本全国の測量を行い、極めて正確な日本地図「大日本沿海輿地全図」を作成している。彼は若い時、さまざまな職業についたり、多くのことを学んだのち、佐原の商家の跡取りとなり、その後、歴史の残る偉業を成し遂げた。忠敬は、日本地図の他にも長年の夢だった地球の南北を結ぶ子午線を正確に測り、その夢を果たしている。その生涯は、まさに「エクスプローラー(探検者)」を具現した人生であった。

 

「人生100年」時代の到来と言われるが、それは多くの難しい課題を抱えている。少子高齢化や政府債務残高の増大が進む日本において、「人生100年」時代は、激動する時代を生き抜くということである。

しかし、人生の長さよりも、いかに学び、いかに挑戦し、できるかぎり後悔しない生き方をすることが大切であるのは間違いのないことだろう。

人生において変化しない生き方もあり、時として家族のためやその他の事情があり変化できないこともあるかしもしれない。必ずしも変化し挑戦することが良い結果をもたらさないこともある。家族から反対されることもある。また準備不足で失敗することもある。幸福な状態であれば変化しない生き方でも良いと思う。挑戦するためには、勝てる時を選び、勝てる分野に挑むことも重要である。いずれにしても、若い人は特に、挑戦するために日々学び、自らの気持ちを鍛えていく必要があるだろう。

 

人生100時代の生き方にはひとそれぞれの考え方や方法がある。人生100時代の生き方として正しい答えというものはない。最後に、若い人に向け、ひとつの心構えとして、イギリスの詩人オーデンの一節で結ぶとこととしよう。

 

The sense of danger must not disappear:
The way is certainly both short and steep,
However gradual it looks from here;
Look if you like, but you will have to leap.

W.H.Auden


見ていたければ見ていなさい、しかしあなたは跳ばなければいけない。